ペルシア戦争の勝利によってギリシアの覇権を握ったアテネに対し対立関係にあったスパルタが危機感を募らせぶつかったのがペロポネソス戦争だよ!1-23ペルシア戦争-古代ギリシア世界⑤も確認してみよう。
ここからギリシアの勢力関係が一気に動くからあわてないようにね!
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★この範囲のあらまし
この範囲は、ペロポネソス戦争とマケドニアがテーマとなる。
ペルシア戦争の終結後、アテネはエーゲ海一の海軍国としてペルシアの再侵攻に備えイオニア地方のポリスの諸都市と結びデロス同盟の盟主となった。
勢いづくアテネは各国から得た拠出金でパルテノン神殿の建設を行うなどデロス同盟を私物化し、同盟に参加しないポリスにとっては脅威となる存在になっていった。
ペロポネソス戦争は、そんなアテネとペロポネソス同盟の盟主であったスパルタとの間に起こった勢力争いである。
この戦争により、スパルタが全ギリシアの主導権を一時的に握るが、戦闘による混乱はアケメネス朝の介入を招き、ギリシアは再びポリス間の争いが絶えない状態となった。
度重なる戦争により人々は市民の身分から転落し、参政権を持たない傭兵に身を落とすことによりアテネの民主制は崩壊してしまう。
戦乱の中、ギリシア中部のポリスであるテーベが一時覇権を握るが、最終的には北方のマケドニアがスパルタを除く全ギリシアを支配し覇権を握った。
ペロポネソス戦争を境にギリシア人の団結は崩れ、アケメネス朝の介入によりギリシア世界は内紛の時代に突入するよ。
度重なる戦争で参政権を持たない傭兵に身を落とす人々が増え、戦争への参加と参政権が結びついていたアテネ民主制の基盤も壊れてしまうんだ。
そして最終的に、弱ったギリシアの諸都市は北方のマケドニアに一挙に支配されてしまうよ。
★この範囲で覚えること
<ペロポネソス戦争とマケドニア>
ペロポネソス戦争とマケドニアについて覚えるべき事柄は、ペロポネソス戦争からマケドニアによるギリシアの支配までの経緯についてである。
ペロポネソス戦争とマケドニアについて、覚えておくべき事柄を以下の表にまとめた。
スクショポイント:ペロポネソス戦争とマケドニア
主要な出来事 | 内容/影響 |
ペロポネソス戦争 | アテネとスパルタによる全ギリシアを巻き込んだ戦争がおこる |
ペリクレスの死 | 疫病によって前429年ペリクレスが死亡し、アテネ国内にデマゴーゴスが出現することでアテネ国内に政治的混乱が起こる |
アケメネス朝による介入 | アテネ・スパルタ両陣営に対して支援を行いギリシアの団結を崩す |
テーベが覇権を握る | 一時的にテーベが全ギリシアの覇権を握る |
カイロネイアの戦い | マケドニアのフィリッポス二世が前338年にギリシア・テーベの連合軍を破りギリシアの覇権を握る |
コリントス同盟の結成 | マケドニアが盟主となりスパルタを除く全ギリシアが支配される。 |
※太字は覚えておくだけでよい
ペロポネソス戦争からマケドニアによる支配まで、しっかり説明できるようになっておこう!
個人の死が歴史的事柄として扱われることは稀なんだけど、ペリクレスはそのうちの一人だね。それほど、彼の死以後のアテネの政治はデマゴーゴスにより混乱したんだ。
Tips
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Pericles_Pio-Clementino_Inv269_n3.jpg
以上が、<ペロポネソス戦争とマケドニア>について覚えるべき事柄である。
★私大(March・関関同立・早慶上智ICU)対策のための用語
以下に、難関私大でのみ必要となる用語を掲載しておく。国公立受験者には不要なものなのでスキップしてよい。
<ペロポネソス戦争とマケドニア>
・大王の和約(アンタルキダス条約)…スパルタとアケメネス朝との間に結ばれた条約。アケメネス朝にアナトリアの支配権を認める代わりに、ギリシアの諸都市に独立と自治を認めさせた条約。
・レウクトラの戦い…スパルタとテーベとの戦い。テーベの勝利によりギリシアの支配権が一時テーベに移った。
・エパメイノンダス…レウクトラの戦いにおけるテーベの指導者。
★学習確認Stepテスト
以下に、この範囲で暗記すべき事柄に関するミニテストを用意した。すべて暗唱できるようになるまで反復すれば、この範囲でもう学習することはない。
Step1:ペロポネソス戦争とマケドニア
ペロポネソス戦争の開始からマケドニアによるコリントス同盟結成までの主要な出来事とその内容/影響を答えよ。
Hint:アケメネス朝の介入を除く5つの項目が答えられればよい。
★はっつんの編集後記
アケメネス朝のポリスに対する介入がえぐいのよ。
アケメネス朝はペロポネソス戦争で疲弊したアテネに対して支援を行い経済基盤を回復させるとスパルタと改めて対立させ、かと思えば今度はスパルタにすり寄りペルシア戦争の目的であったイオニア地方の領有を認めさせるかわりにギリシア諸ポリスの独立自治を認める(=中立を決め込んで高みの見物をする)ことで当初の目的を達成している。
最終的には内ゲバで弱ったギリシア全土を頂くつもりだったのかもしれないが、結局はギリシアを統一したアレクサンドロス大王にやられてしまうのが歴史の面白い所。
フィリッポス二世の息子のアレクサンドロス大王が始めた東方遠征は、アテネやスパルタに対して介入を繰り返したアケメネス朝打倒のために行われたよ!
アケメネス朝のギリシアに対する介入については教科書であまり扱われていないから知っておくとこの範囲の整理に役立つよ!
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